仕事や通学に欠かせない島民の足であった水俣航路。
島民は皆、利用してきた海の道だ。
年配の島民であれば、桟橋が出来る前は眉島まで渡し舟で渡り、そこから乗船していたと懐かしげに語る。
船も当時の長水丸の思い出が深いかもしれない。
若者も、高校時代の顔なじみの船員とのやり取りを懐かしむ。
皆、水俣航路には単なる交通手段という以上の思い入れがあるのだ。
かまがりから水俣航路本郷港最後の乗客が降り、お別れの式典が行われた。知己の島民から船員に花束が手渡される。
長年のさまざまな思いがよぎったのだろうか、感極まり、目頭を熱くする船員たち。
桟橋の島民にも同様に涙を浮かべる者がいる。
水俣航路最後の出航時が来た。何十本という色とりどりの紙テープが島民とかまがりを繋いでいた。
ゆっくりと桟橋を出航し、徐々に離れていく船にやがてそのテープでつくられた虹も切れいく。
沖へと最後の航海に向かうかまがり。
二度と見ることはないであろうその姿に名残を惜しみ、島民達は最後までかまがりを見送っていた。